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 牡鹿の復興(東日本大震災後)

 2011年(平成23年)3月11日(金)の14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル、仙台市の東方沖70キロメートルの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。地震の規模はモーメントマグニチュード (MW)9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震であり、震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500キロメートル、東西約200キロメートルのおよそ10万平方キロメートルという広範囲全てが震源域とされています。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の7区で震度6強を観測しています。

この地震により、牡鹿半島も津波の被害を受け、多くの方が犠牲となっています。このページはその時から復興に向けて進んでいく街の変化などを掲載していきたいと考えています。飽くまでも震災時のつらい記憶を呼び戻すページでは無く、復興に向けて前向きに進んでいく牡鹿を見てほしくこのページを作成しています。

※情報の一部はインターネットより抜粋です。

 

宮城県石巻市牡鹿半島にある鮎川の街は、震災時津波により建物のの殆どが流されました。今は、空き地状態です・・・3年経った現在も復興計画はあるようですが、進んでいないのが現状です。

災後、鮎川港にあった乗船場は無くなってしまい、現在は仮設店舗に船のチケット売り場と観光協会さんが入っています。金華山行きの船も昔に比べて大分減り、大型フェリーでは渡れなくなりました。

※金華山の船着き場が津波により損壊(現在修理中)

震災後、多くのお店も津波により流され、鮎川浜にあったお店は現在は、復興商店街(牡鹿のれん街)にて、お客様をお待ちしております。新鮮な魚や海産物の販売はもちろん、美味しい海鮮丼、寿司など地元のお店の方々現在も明るく元気にお店を営んでいます。ぜひ皆さんも牡鹿に来た際はお立ち寄りください☆

災後は海の近くもすっかり何も無くなってしまい、すべて流されてしまいました。建物のあった跡地は、草が生え空き地状態になっています。

牡鹿半島には、震災前までホエールランドというくじらの博物館がありました。海が近かった為、津波をもろに受けてしまい現在は解体されています。この写真は、解体前の写真になります。

 

 

 

 ※震災前のホエールランド

エールランドに展示してあったくじら船です。津波でも土台がしっかりしていたことにより、流されませんでした。

 

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